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鬼踊りの意味をめぐって

 見付天神裸祭は、「天下の奇祭」とも称される。それはおそらく、「鬼踊り」と呼ばれる行事があまりにも不可解であるために、そう呼ばれたのであろう。鬼踊りとは、褌に腰蓑姿の裸衆が、見付天神の狭い拝殿の中でないに体をぶつけあう行事のことをいう。いったい、この行事は、何のために行われるのであろうか。それについて、従来二つの説が唱えられてきた。一つは、正暦4年(993)に天神・菅原道真を勧請したことを祝って行われた「歓喜踰躍の舞」が、鬼踊りの始まりだとする説である。もう一つは、見付天神に住む化物を、悉平太郎という名の犬が退治したことを喜んで踊ったのが始まりだという。だが、残された資料を読み解くと、第三の説を提示することも可能となる。

 明治31年(1898)8月10日刊行の『風俗画報』170号には、神村直三郎の手による見付天神裸祭に関する文章が掲載されている。そこには「一同本社に集まれば拝殿の中にてチンヤサイ、モンヤサイと唱へつゝ鬼踊をなすなり ―(中略)― 此踊り十分ならざれは神輿上がらずとなり」という一文がある。ここで注目すべきは、鬼踊りが十分でないと神輿は上がらないとしている点である。どうしてなのであろうか。

 この謎を解く鍵は、神輿が見付天神を出る前に奏上される祝詞の。一節にある。そこには、「御氏子乃人男斎清麻波里氏拝殿乃大床母登抒呂尓踏平志歌比響動伎手打嗚志氏」と書かれている。これは、鬼踊りの様子を描写したものと思われる。それによると、鬼踊りとは、ケガレのない氏子が拝殿の大床を。踏平 (ふみなら)」すことであるという。この部分はきわめて重要である。なぜならば、鬼踊りが反閇(へんばい)であることを示唆しているからである。反閇とは、陰陽道の呪法の一つであり、地面を強く踏みしめることによって、邪霊を封じ込めるという技である。反閇は、神楽などの民俗芸能でも、よく見られる。だが、鬼踊りが反閇であったとして、それが不十分だと、どうして神輿は上がらないのだろうか。

 その理由は、日本の神の特徴と深く関わる。日本の神は、ケガレ ― 邪霊も、広い意味でケガレに含まれる ― を極端に嫌う。このため、ケガレがあると神は決して姿を現さない。この点を考えあわせると、先に引用した神村の文章の意味も明らかとなろう。すなわち、反閇である鬼踊りによって、しっかりと邪霊を祓い鎮めておかなければ、神はケガレを嫌って、拝殿から出ようとしないのである。

 以上、鬼踊りの意味について、第三の説を提示してみた。もちろん、この説も仮説の粋を出ない。現在のところ、どの説が正しいのかを決めることはできない。資料が少ないからである。その意味で、鬼踊りは、やはり不可解な行事である。果たして、皆 さんの目に、鬼踊りはどのように映るのであろうか。


谷部真吾 山口大学准教授

谷部真吾(やべ・しんご)

 山口大学人文学部人文科学研究科准教授民俗学・文化人類学。日本の祭りの、近現代における変化について研究。
  見付天神裸祭および遠州森の祭りについては、名古屋大学大学院GCOE研究員当時より現地に入って調査研究を継続。
『見付天神裸祭の記録』(平成22年刊)の調査、報告に参加。


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