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神を迎える心と儀礼 ― 見付天神裸祭 ―

 信仰心に根ざした強固な祭祀祭礼組織が生動し、子どもたちを含む参加者全員が。再生する。そして地域全体が活性化を果たす。延喜式内社矢奈比賣神社例祭、見付天神裸祭は旧暦八月十日・十一日に行われる。「禊ぎ」と「籠り」は日本の固有進行の基木である。この祭りほど進行の基本を地域全体で実践し続けている例は数少ない。

 遠州灘の蒼海に真向い、渚近くに神籬を立てる。神職・先供・輿番たちか白砂の上にひれ伏して祈る。そして。褌一つになって常世から寄せてくる重波(しきなみ)を浴びて禊ぎをし。身心を浄める。町内ごとに整然と行われ、子どもたちも褌一つになって真剣に務める。この禊ぎをしない者は祭りに参加することができない。

 祭りの第一日目、午後六時から子供連の練りが、午後九時から大人たちの練りが始まる。練りの及ぶ範囲は、西の境松御旅所から東の三本松御旅所の問で、他に。矢奈比賣神社拝殿で鬼踊りと呼ばれる激しい練りが行われる。裸衆が身につける新藁の腰蓑ーそれは「注連縄(しめなわ)」であり、横綱の腰を飾る太綱と同じである。これをしめた者はともに聖なる存在で、練りもまた力士のシコ踏みと同じ反閇(へんばい)の呪力を持つ地霊を鎮め、邪悪なるものを鎮圧する所作である。神の御下り前に、様々なものが通過し、汚れも否めない東海道の道筋や町内を浄め、鎮めるのだ。

 祭り第二日目に入った午前零時一〇分ごろ、境内の山神社で祝詞(のりと)が奏上される。途中煙火(はなび)があがる。それを合図に一番触れの、触れ番と触れ榊が発つ。二番触れの触れ番出発後に出御した神輿が淡海国玉神社に着御御するまでの問、町内の各戸は全ての灯火を消して忌み籠りをする。昭和十六年刊行の『静岡県神社志』には次のようにある。「全町の灯火を滅し、全くの暗黒の裡に神輿を奉じ、飛ぶやうに総社淡海国玉神社に奉遷す。」―。灯火のみならず、音・声・嗚りものも禁じられた厳しい忌み籠りである。幟に書かれている「比佐麻里」(ひさまり=ひそまり)という言葉が、身を慎み、静かに籠って神を迎え、神の力をいただくというこの祭りの本質をよく示している。

 磐田原台地は雨アルプスに連なる最南端の山的な場である。山の恵みは多彩である。海の心みもあり、その間には稲田もある。神輿には稲作にかかわって人と共生する燕が座を占め。苗も飾られる。見付天神裸祭は。山と町と田畑と海を結ぶ南北の軸と、古来、東西を結び続けてきた大皿脈たる東海道の交点でくり広げられる。この祭りは、神と人びととの壮大な交歓の儀礼である。


野本寛一(のもと・かんいち)

 近畿大学名誉教授。 
 生活伝承について、自然環境との関係に着目し「生態民俗学」という新しい概念を提唱。優れた業績を挙げた。
 昭和12年2月14日生。
 静岡県牧之原市出身。
 平成27年度文化功労章に選出される。


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